KOTALOG

人間は考える葦である

ことば

 

 

 地元の山では初冠雪を記録し、車のガラスに霜が降りる時期かなあと回顧してみる。

 

 それに相まって、朝布団から出たくなくなるあの現象は一体何なのか。あのえもいわれぬ毛布の暖かさったらもう、ね。日本中、いや世界中の社会人達は毎朝あの悪魔の如き布団と暖かさからしっかり抜け出して毎日出勤して仕事をしているのかと思うと、自分の将来がつくづく思いやられる。それにしても、あの暖かさを端的に表す言葉はないものかなあと、本来なら家を出る時間に目覚めてしまったこの前の月曜日に思った。

 

 ドイツ語には「懐かしい」という表現に相当する単語がないらしい。有るにはあるが使われないそう。言葉って不思議なもので言語間の齟齬がよく生まれるらしいが、それはその言語を母語とする人々の生活の営みによって長い時間をかけて形成されてきたものであり、気候も人種も文化も違う海外の言葉が日本語と照らし合わせてリンクしない時があるのは当たり前なのか。

 

 いえ、別にドイツ語を引き合いに出した事に意味はなくてですね。

 

 日本語って素敵な言語だなあと最近よく思うわけです。心情描写系は特に「いいなあ」と感じる事が多くて、日本語が母語でよかったと思います。

 

 好きな表現を見た時、心に瑞々しいものが注入されるあの感覚は、僕がまだ若く感受性が豊かだからなのか。だとしたら、歳はとりたくないね。

 

 皆さんも是非、好きな日本語、見つけてみてください。

 

 ちなみに僕は高村光太郎の「レモン哀歌」が堪らなく好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちは

どうも、こんにちは

北の大地で生まれ育ち、今はトヨタ自動車のお膝元で暮らしている大学生です

 

ここ最近ふと物思いに耽ったりしては忘れ、を繰り返していて折角なら「文」という形に起こせないかと思いました、が、ブログが続くかはわかりません笑

 

まあとにかく僕はモラトリアムなので何をするにもぐだってしまうんですね、まともなブログになるのかどうか。

 

 

しがない一書生のぼやきと思ってください、よろしくお願いします