KOTALOG

人間は考える葦である

無駄

 無駄がとても好きなのです。

大学生になってから、ぱっと見で意味のなさそうな事、なくてもいいもの、寄り道だとか、色々な「無駄」に価値を見出し、楽しむようになりました。それは大学に入ってから出会った人達、聞いた話、見た事だとか様々なものに影響されたなのでしょうね。

 

 服の選び方もそうで、昔はひたすらに垢抜けない服が好きだったけど、今は少しだけ、何というか、20代前半のモラトリアム感が残る「それなりに遊んでるインテリ層」みたいな服の組み合わせをするようになりました。伝わるかな(笑)

 

 全てが統制された均質的なものの中に、何かその流れを切るような「異物」が混じる事で、そのハーモニーの中に異なるリズムが生まれて、それが世間の目を引いたり、議論を呼んだりするのだと思うのです。

 

 でも最近、「無駄」を楽しみ過ぎて、気づけば目の前にやる事が山積みになっている日が多々あります。何故でしょうね。

 

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 「大人には、いい休暇を取る、という宿題があります」 

 

 

JRの青春18きっぷのポスターの標語。その通りですね。最近は、「無駄」を排して時間の管理をして休暇を楽しまないと行けないなあとひしひし感じております。少しだけそれが寂しいのです。